(前回のつづき)
1962年に創業したディスカウントストア「ウォルマート」。
当初は創業母体が大きい「Kマート」が先に成長しますが、ウォルマートもアーカンソー州の田舎町を中心に、少しずつネットワークを広げていきます。
やがて人口5,000人以下の小さな町でも、しっかり利益を出せるモデルを構築。進出した地域では圧倒的なシェアを獲得し、時間をかけてトッププレイヤーとしての地位を形作っていきます。
1974年ごろ、サム・ウォルトンは第一線から退いて、もっと自分のための時間をとりたいと思うようになっていました。
この時期、妻ヘレンと何度も外国旅行に出かけるように。とはいえ、以前と変わらず現地の小売店を視察していました。
ウォルトンが経営を退きたいと思ったのは、これが初めてのこと。そして、このことがウォルマートの経営上、大きな苦難を呼び起こすことになります。
当時のウォルマートには、二大派閥とも言うべき勢力がありました。
一つは営業企画を統括していたフェロルド・アレンド(当時45歳)に忠実な店長たちの陣営。フェロルドはウォルマートが多店舗化を始めた頃、組織づくりに多大な貢献をした人物。守旧派で、いわば現場主義。
一方のロン・メイヤー(当時40歳)は前回も登場しましたが、財務と物流を取り仕切っていた人物。こちらは進歩派で、ロンに仕事上の恩義がある人たちが属していました。
ロン・メイヤーは野心家で、「できればウォルマートを経営したい」とかねてから公言していました。ある時、サム・ウォルトンに「もし経営できないなら、退職するつもりだ」と伝えます。
ウォルトンはロンを失うことが不安でたまりません。自分も身を引くことを考えていたこともあり、ロンの意思を尊重。
ロンが会長兼CEOに、フェロルドが社長に就任します。ウォルトンは経営のすべてをロンに任せ、自分は成果を確認するだけにしよう、そう決意したのでした。
結論から言えば、この決定は大失敗に終わります。