現代金融の王者「ゴールドマン・サックス」の歴史(後編)
1907年、使い走りからスタートしたシドニー・ワインバーグは、世界恐慌で危機的状況に陥ったゴールドマン・サックスを、自身の圧倒的な「政治力」を駆使して立て直し、自らの地位も高めました。
戦時中には、アメリカ中の有能な若手企業幹部と知り合いになり、彼らがCEOになったときに投資銀行として指名されるサイクルを作ります。
その中にはフォード社の若きCEO、ヘンリー・フォード二世もおり、その後のゴールドマン・サックスの成長に大きな影響を与えました。
フォード・モーター社は、ヘンリー・フォード一世によって設立された個人所有の会社でした。
1947年に彼が亡くなると、息子のエドセルがCEOに就きますが、わずか6ヶ月後に亡くなってしまい、弱冠35歳のヘンリー・フォード二世が継承。
長老フォード一世は亡くなる直前、相続税を節約するためにフォード社の普通株88%を移してフォード基金を作り、2%がフォードの幹部や社員に割り当てられ、一族に残されたのは10%だけでした(この10%で議決権は100%)。
ところが、フォード社が配当を支払っていなかったため、フォード基金の収入は不十分。理事たちは寄贈された株式をニューヨーク証券取引所に上場して公開し、大量に売却することにしたのです。
これにはフォード一族が大反対します。何しろ、一族の多くはフォード社の社員であり、たっぷり給料をもらい、裕福な立場にありました。配当金など必要なかったため、基金と一族が対立することになりました。
そして、両者は偶然にも同じ専門家をアドバイザーにつけようとしました。それが、シドニー・ワインバーグだったのです。