現代金融の王者「ゴールドマン・サックス」の歴史(中編)〜シドニー、全米の若手経営幹部と知り合いに〜

1900年ごろ、後発のユダヤ系業者でありながら、ウォール街のトップ業者たちに食い込んでいったゴールドマン・サックス。

成長を牽引した2代目トップのヘンリー・ゴールドマンは、第一次大戦をきっかけに過激なドイツ支持に傾いてしまい、それが元でゴールドマン・サックスは経営難に陥ってしまいます。

ヘンリーの後をついだワディル・キャッチングスは1920年代、好景気に浮かれるアメリカ経済の中で浮かれてしまい、さらに深刻な危機をもたらします。

キャッチングスは1928年に出版された『豊かさへの道』という本を書き、「事業では環境がどうあろうと、フル回転で生産を続けるべきだ。なぜならアメリカは繁栄するのだから」といった無邪気な言葉を残しています。

アメリカ経済の繁栄が限りなく続くと信じていたキャッチングスは、当時注目された「会社型投資信託(ただの持株会社)」に最悪のタイミングで参入します。

世界恐慌で手痛くやられる

キャッチングスは、1929年の春に「ゴールドマン・サックス・トレーディング」という持株会社を設立し、市場から資金を募りました。

続きを読むには

Strainerプレミアムに
ご登録いただく必要があります。

初回30日間無料体験実施中!

無料で続きを読む
または
ログイン
連載シリーズ (全15回)

投資銀行の歴史