東洋シヤッター【5936】 沿革 スタンダード(内国株式)

シャッター、スチールドア、金物の製造販売、研究及び外注業務の請負を展開。

東洋シヤッター【5936】 沿革 スタンダード(内国株式)

シャッター、スチールドア、金物の製造販売、研究及び外注業務の請負を展開。

沿革

1955年9月 大阪市西淀川区においてシャッターの販売を目的として創業
1956年1月 東京支店を開設
1957年4月 大阪市西淀川区に大阪工場を開設、軽量シャッターの製造開始
1964年4月 忠岡工場(現大阪府泉南市)の新設、重量シャッターの製造開始
1967年7月 土浦工場新設、軽量・重量シャッターの製造開始
1968年1月 大阪市東区谷町(現大阪市中央区谷町)に本社移転
1972年10月 大阪市東区両替町(現大阪市中央区常盤町)に本社移転
1973年10月 東京本社を東京都中央区に開設し、二本社体制となる
1975年7月 無人制御システムシャッター『リフレオート』を開発、発売
1975年10月 大阪証券取引所市場第二部に株式上場
1975年12月 奈良工場を新設し、大阪工場・忠岡工場を集約する
1987年10月 株式会社日本シャッター製作所を合併し、九州支店・鹿児島支店(現鹿児島営業所)・枚方工場・九州工場・株式会社南日本シャッター製作所(現連結子会社、南東洋シヤッター株式会社)を継承する
1989年2月 東京証券取引所市場第二部に株式上場
1989年9月 東京証券取引所及び大阪証券取引所の市場第一部に指定替
1991年10月 株式会社オーシマを合併し、建材部門の拡充を図る
1992年4月 岩住サッシ株式会社を合併し、スチールドア部門の拡充を図る
1993年3月 つくば工場を新設し、土浦工場を閉鎖する
1993年9月 ビル改修システム『ビルファイン』を開発、発売 東洋シヤッター北海道株式会社へ49%出資し、関係会社とする
1993年11月 大阪市中央区南新町に本社を新築移転
1994年6月 東洋テクノサービス株式会社に100%出資し、関係会社とする
1996年4月 東洋テクノサービス株式会社を株式会社シーク研究所に社名変更
2000年1月 東京本社を東京都港区から東京都中央区に移転
2000年5月 枚方工場を閉鎖し、奈良工場に集約 九州工場を南東洋シヤッター株式会社所在地に集約移転
2002年5月 「私的整理に関するガイドライン」に基づく「再建計画」の成立
2002年12月 連結子会社である東洋シヤッター北海道株式会社・株式会社シーク研究所を解散
2003年4月 フジテック株式会社とエレベーター『遮煙乗場扉』を共同開発、発売
2003年7月 大阪市中央区南船場に本社移転
2003年12月 自主的新中期経営4ヵ年計画『フェニックス-50』の策定
2004年1月 シャッター落下防止装置「守護神」を開発、発売
2006年2月 「私的整理に関するガイドライン」に基づく「再建計画」及び自主的新中期経営4ヵ年計画『フェニックス-50』を前倒しで終結し、新中期3ヵ年計画『レボリューション3』を策定
2009年2月 新中期3ヵ年計画『Fusion Plan 3』を策定
2011年2月 ドイツハーマン社グループと資本・業務提携契約を締結
2011年3月 ハーマンGmbHを割当先とする第三者割当増資を実施、資本金2,024百万円となる
2012年5月 新中期3ヵ年計画『JUMP UP 3』を策定
2015年5月 新中期3ヵ年計画『POWER UP 3』を策定
2018年5月 新中期3ヵ年計画『BRUSH UP 3』を策定
2021年3月 中期経営計画『BRUSH UP 3+1(プラスワン)』を策定
2022年4月 東京証券取引所の市場区分の見直しにより、東京証券取引所の市場第一部からスタンダード市場に移行
2022年5月 新中期3ヵ年計画『TOYO REBORN 3』を策定 防火防音換気扉「TSベンチタイト」を開発、発売
2024年5月 『資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応について』を策定