前編では、日本のアパレル業界で「ユニクロ」がどのように台頭してきたか、なぜ彼らが「安売り」イメージからの脱却を目指したのかについてお話ししました。
後編では、グローバルブランドとなりつつあるユニクロが、世界のアパレル市場でどのようなポジションを狙っているかについて整理します。
その前に、そもそも世界のアパレル業界がどう変化してきたのか、「SPA」モデル誕生の経緯を整理します。長くなったので、中編とします。(今回はユニクロは出てきません)
ユニクロを含めた現代のカジュアルブランドは、多くが「SPA(製造小売)」と呼ばれるビジネスモデルで服を作っています。企画から小売までをグループ内で完結させる垂直統合型のモデルであり、コスト・商品企画の両面で大きなメリットがあります。
従来の分業型モデルでは、アパレルメーカーは衣料品を作って卸売りします。小売店(デパートやセレクトショップ)がそれを仕入れ、消費者に売ります。布から衣料品を作って販売するまでの中で、メーカーや問屋、小売店などが利益を分け合う構造になっているのです。
一方のSPAでは、商品の企画から消費者に販売するまで、1つの会社が全てをコントロールします。中間業者を介さない分だけコストを抑えられるほか、販売データを自社で溜められるため、どんな商品が売れるかというリアルな情報を手に入れられます。
最初に「SPA」という言葉を提唱したのは、アメリカのカジュアルブランド「GAP」です。GAPは1969年、不動産会社を経営していたドナルド・フィッシャーによってカリフォルニア州で創業しました。
当時のアメリカでは、戦後生まれのベビーブーマーたちが、既存のフォーマルスタイルに反発し、親世代とは異なるファッションを求めていました。
そんな中、ワークパンツからファッションアイテムへと転換しつつあった「ジーンズ」に注目。フィッシャー自身、百貨店で自分にあうジーンズを見つけられなかったことが契機となりました。戦後、ライフスタイルが変化したことで生まれたジェネレーション・ギャップを縮める店が「GAP」というわけです。
GAPは戦後生まれのベビーブーマー世代のニーズを捉え、1970年にサンノゼで2店舗目を出したのち、1975年には97店舗まで拡大。そして1976年、ニューヨーク証券取引所への上場を果たしました。
その後もGAPは成長を続け、カジュアルファッションの代表的チェーンとして、アメリカ全土に拡大していきました。
上場企業となってからも、GAPとリーバイスは良好な取引関係を築いていました。ところがある時、これを一変させるような出来事が起こります。