短いですが、サイバーエージェント創業者の藤田氏の「起業家」を読み返して、とても感銘を受けたのでまとめておきます。
2004年5月:藤田社長がライブドアブログ(「東京ではたらく社長のブログ」)をこっそり開始。藤田社長であることを匂わせ、人気ブログに
2004年9月:外注したシステムで「アメーバブログ」開始
2005年7月:72時間のサーバーダウン、システム内製化を決意
2006年2月:役員合宿にて「例外事業」として大規模な赤字を許容することを決定
2007年4月:アメーバ事業部の幹部を更迭、藤田氏が事業部長に。「残り2年でダメだったら会社を辞める」と宣言(この頃、月間15億ページビュー程度)
2008年1月:目標としていた月間30億PVを2ヶ月前倒しで達成
2009年?月:月間売上が5億円を突破(2月に開始したアメーバピグによる課金も寄与)
2009年9月:損益分岐点を超えて黒字化。それまでの累積赤字額60億円
サイバーエージェントは上場して数年の間、インターネット向けの広告代理店としてしか見られていませんでした。
それは社外だけでなく社内も同様で、社内的に「花形」の広告代理事業とは全く異なる他の事業を生み出す、というのは大きな困難があったようです。
そして、サイバーエージェントはメディア事業を育てる中で、会社としての大きな転換点を二つ迎えています。
・それまでの「任せる経営」から、「必要に応じて陣頭指揮をとる経営」にシフト
・それまであまりいなかったエンジニアの採用を本格化
サイバーエージェントの創業期は、「広告代理業」という性質上、とにかく良い人材を集め、社員が自分で考えて行動するというところに強みがありました。
広告営業は「売上を上げる」という目標が明確であり、藤田氏にとってそれを組織化するのは難しいことではなかったように見えます。
しかし、自社のサービスを打ち出す「メディア事業」では、「プロダクトの体験をよくする」という曖昧な目標を掲げ、それによってページビュー数を最大化しなくてはなりませんでした。
最初は社員に任せっきりだったようですが、それまでのルール(売上で結果を出す)とは違うメディア事業に社員が戸惑い、2年以上もの間、サービスが思うように伸びないという苦戦を強いられています。
経営者として「短期的な売上」以上の視点を持つことのできる藤田氏が先頭に立つことで、その問題を解決したということのようです。
また、メディア事業の中でサイバーエージェントは、必然的にエンジニア採用を強化する必要に迫られました。
莫大なアクセス数を生み出すブログプラットフォームを、外注のエンジニアだけに頼って支えることは難しいからです。
そしてその採用が、「アメーバピグ」やゲーム事業などの課金ビジネスにつながっていった面もあり、事業を広げることが組織の多様化、そして事業の多様化に一気につながっていったことがわかります。
現在の「AbemaTV」では、当時のAmeba事業と同様、藤田社長を頂点に置いた陣頭指揮体制を敷いていると言います。
若い組織として始まったサイバーエージェントですが、幾多の困難を乗り越えて今があるというところに、同社の強さがあると感じました。