イスラエル海軍出身!クソ野郎からの転身を果たしたWeWork創業者アダム・ニューマンの半生(後編)
(前編からの続き)
21歳のときにイスラエルからアメリカにわたり、5年以上もの間、起業家として奮闘するも結果が出なかったアダム・ニューマン。
妻・レベッカとの出会いによって考え方を改める中で新たに出会ったのが、後に「WeWork」を共同創業することになるミゲル・マッケルビーでした。
マッケルビーもアダム・ニューマンと負けず劣らず数奇な人生を歩んでいるので、彼の半生についてもチェックしてみましょう。
ミゲル・マッケルビーは1998年に大学を卒業したあと、1,500ドルの手金を携えて東京にやってきました。
2週間もの間、マッケルビーは寿司を食べたり、街を歩いたり、アメリカのポップ音楽の歌詞を日本人に説明したりしていました。
日本人とコミュケーションを取ろうとする中で、彼は最初のスタートアップを創業します。
それは「English baby!」というWebサイトで、英語を教えてもらう相手を探すという学生向けサービスでした。
事業は比較的うまくいき、従業員も25人まで増えたそうですが、マッケルビーにとって満足いくものではありませんでした。