今回は『らくらく連絡網』を提供する「イオレ」についてまとめます。
まずは、大学のサークルなどで大活躍の『らくらく連絡網」がどのようにして始まったのかについて調べてみました。
創業者の吉田直人氏は立教大経済学部を1987年に卒業。
広告代理店に就職したものの、自分がやりたかった仕事との相違から半年で辞めてしまいます。
1989年に広告や編集を手掛ける事業を立ち上げ、さらに職業紹介の会社を設立。
2つの会社が成長して余裕が出てきた頃、「子供の頃好きだったゲームやアニメの世界を作りたい」という思いが強くなったそうで、1991年にパソコン用のゲームソフトを手掛けるグラムスを創業しました。
グラムスではCD-ROMを使ったゲームを開発。
マルチメディアのブームに乗り、CD-ROMの市場シェアの10%をグラムスの商品が占めたそうです。
ところが、グラムス創業から4年後の1995年に、吉田氏は咽頭がんを発症してしまいます。
80キロあった体重は60キロに減少し、「死を覚悟した」と言っています。
すると吉田氏は「死ぬまでにドラゴンクエストのような大ヒット作を作りたい」と事業にのめり込み、「投資を拡大しろ」と社内に号令、複数の銀行から20数億円を借り入れました。
病気のことは銀行にも社員にも言っておらず、現場からは明らかな困惑と疲弊感が漂っていたそうです。
1995年に公開したゲームソフト「クォヴァディス」がヒットしたものの、1997年の金融危機により銀行に融資の返済を求められ、数ヶ月後に倒産してしまいます。
吉田氏自身も自己破産をし、債権者に頭を下げ続けていました。
1998年に免責を受け、債権者や元社員の後押しもあり、1998年に日本初となるタイ古式マッサージで再チャレンジ。
2000年には、NTTドコモの『iモード』の波に乗ろうということで、携帯コンテンツを開発するサイバービズ(現ザッパラス)を創業。
サイバービズの役員の大半がグラムスの社員だったそうで、彼らや債権者への感謝の気持ちから「社会貢献」への思いが強くなります。
そして、2001年4月にイオレを創業しました。
社名の由来はサッカーで応援する際の「オーレ」という掛け声。当時は日韓ワールドカップ開催の前年でした。
当初はサッカーの試合結果を配信するサイトを運営し、プロだけでなく学生の試合まで配信。
チームに直接取材をして特集記事も載せていました。
ところが、「社会に貢献しよう」というスタンスが強過ぎたせいか、ボランティアっぽくなってしまったそうで、株主からさらに出資してもらい、誰かを応援しようとしている彼らが逆に応援される始末だったそうです。
転機となったのは「雨の日の対応などを電話の連絡網でするのに時間がかかる」という小学校のサッカーチームの監督の一言でした。
電話の連絡網では、全メンバーがそれぞれ「次、誰に電話するか」が決められており、文字通り伝言ゲームの様相を呈することになります。
そこでイオレは、メーリングリストを作って一斉に連絡が回るようにして、既読や出欠の確認ができるようにするなど改良を加えていきました。
半年後、口コミなどの効果により利用者は3千人を超えたそうです。
2005年に「らくらく連絡網」としてサービスをスタートし、これがメイン事業となります。
2017年にマザーズ市場に上場します。
長くなりましたが業績推移を見ていきましょう。